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奈良県指定無形民族文化財 「東佐味の六斎念仏」田中宗治氏

東佐味
奈良盆地南端の御所市内からさらに南方に7キロメートル余りの地に、御所市東佐味(旧南葛城郡葛城村大字東佐味)の集落がある。奈良県と大阪府にまたがる金剛山地の東麓に位置し、風の神を祀る志那都比古神社の鎮まる風の森峠を越え、五條市に向かって緩やかに傾斜する地域である。近世初期には402.075石の石高を有し(元禄郷帳)、御所藩領であったが、のちの幕領となっている。

六斎講
同地の六斎念仏は、東佐味の六斎講の講員によって行われている。講員の数は時とともに変遷があるが、講員になる資格を特に問うことはない。
講では講員の家を順にまわりながらほぼ月1回程度念仏を唱え食事をともにする集まりをもつ。現在では各家の先祖の命日などを考慮して適宜実施されているが、かつては次のように年間の行事を折目として行われていた。

1月 (正月であるので念仏は行わず)
2月 (行わず)
3月 涅槃念仏。3月15日前後に行う。
彼岸念仏。彼岸の入りや結願の日に行う。チューニッタン(中日)には寺でする。
4月 観音会式。4月18日のミネ山の観音会式の際にする。
5月 特に呼称はない。
6月 (農繁期であるので行わず。)
7月 七日盆。
8月 タナギョウマイリ(棚経参り)。8月13日、14日。(もと14日のみ)
千本灯明。8月20日。(もと15日)念仏のしあげとする。
9月 彼岸念仏。
10月 十夜念仏。10月のアキの忙しい時であるので雨天時の晩などにする。
11月 特に呼称なし。アキアゲの意味でイノコの頃にする。
12月 (行わず。)

これら月例の集まり以外に、葬式や年忌法要などの際にも随時依頼を受けて出かけるが年間の最も大きな行事が盆の棚経参りである。盆には東佐味の他、西佐味、鴨神(上・下)や東佐味の弥勒寺を檀那寺とする五條市居伝・御所市内谷の一部をもまわる。
また、現在では途絶えているものに、高野参りや七墓参りがある。

伝承曲
東佐味の六斎講では、「シヘン」「ハクマイ」「バンド」、「シンコロ」「ソオロシ」「シンバクマイ」の6曲の念仏を伝えている。これらの曲名は他所では「四遍」「白舞」「阪東」「真光郎」「総下し」「新白舞」などと表記されているが、当地に残る先の「七墓巡拝対諸事覚簿」では「初編」「白米」「坂東」「真コロ」「ソオロシ」「真白米」と記されている。このうち「シヘン」「ハクマイ」「バンド」「ソオロシ」には、マエと呼ぶ前半部分とオクと呼ぶ後半部分の2部構成となっている。

詠唱と鉦の打ち方
念仏を唱えることを「念仏をモウス」という。講員が、チョウショと呼ばれる一人の先導役と他のヒラに分かれ、まず、チョウショが一節を唱えると、これを受けてヒラが唱え、この形式を繰り返してゆく。



由来
東佐味に伝わる六斎念仏の起源については詳らかではない。聞き取りからは、現在の伝承者から2世代まで遡れるのみである。講で所有する記録類も、先に記した明治34年の「七墓巡拝対諸事覚簿」が最も古いものである。ただ、現在用いられている叩き鉦に刻まれた銘文から、さらに今少し東佐味への六斎念仏の定着を考えることはできる。
鉦の刻銘からは、東佐味南方の小和村(五條市)では江戸時代慶安3年(1650)に、また北方の増村(現御所市)では宝永7年(1710)に既に六斎念仏が営まれていたことが知られる。また、鉦9点のうち5点までは明らかに他村から伝えられたものである。
ここで、残された銘文のみから推測できることは、もし、東佐味の地で六歳念仏が始行されて以来現在に至るまで、同一同数の鉦が用い続けられてきたとすれば、この地の六歳念仏の創始は、他村からもたらされた鉦のうち最も新しい年紀をもつ文久4年(1864)からさらに暫くの時を経てからではないかということである。東佐味の名が刻銘に現れるのが明治2年が初めてであることも考え合わせると、この頃周辺地域から何らかの縁故によってこの地に鉦が集められ六斎講が誕生したのではないかと一応考えることができよう。他に記録類等が発見されない限り、時代的にはこれ以上遡ることはできないが、それでも既に百十数年の歴史をもっていることになる。また、東佐味周辺は、先の鉦の銘からみるだけでも、17世紀後半以降の念仏の伝統を継承している地であるといえるのではないだろうか。

あとがき
 私が六斎念仏を習い始めたのは終戦後ですが、既に二代前の祖父が念仏の導師役を勉めていました。祖父は大変気難しい人で村一番の貧乏な暮らしをしていたようです。そのくせ旦那気質で非常にくせもあり、当時習い始めた人達は違和感を抱き困ったようです。それでも辛抱しながら夜毎苦しい稽古を繰り返していたことと思います。その孫にあたる私が、終戦直後に故郷に帰り、娯楽のない村の片隅で夜遊びぐらいのつもりで習い始めたのですが、それは大変なことでした。夜毎に先生格のお年寄りと向かいあって口伝えでの稽古の連続でした。夜十一時頃になると夜食が出るのですが、当時は農村といえども食糧事情は極めて悪く、ただ食べることだけが楽しみのようの世界でした。それが、念仏をならいに行くと夜食に純米のあぶらげめし、あるいはコンニャクめし、時折カンヅメめしをいただけるのです。そのご飯を食べるのが最高の楽しみであったわけです。つまり、花よりダンゴと言いますが、今から思えば本当にみじめな話でございます。しかし、夜食の色ごはんこそが、当時の稽古の一番の励みになっていたのだと思います。我々が食べる米は講元さんへ持ち寄るのですが、ある時などは私の家は農家ではないので夜食の持ち寄り米にすら事欠くようになり、先輩同輩の手前大変みじめな思いをしたこともありました。終戦直後で生活は厳しく、一生懸命に仕事をしなければ食べて行けない状態でしたが、それでもそこはやはり若さの特権で、夕方になれば念仏の稽古に情熱を燃やしたものです。終戦後のふるさとを舞台として六斎念仏即ち南無阿弥陀仏の中に私の人生の出発点と思い出が刻み込まれており、まことに忘れ得ぬ時代でございました。他の講員もまた同じような感慨を抱いているのではないかと思います。思い出多き六斎念仏をその昔習い始めた動機は甚だ素朴なものでしたが、念ずる六斎念仏もまた素朴でございます。講員全員が力をあわせて命ある限り保存と伝承に全魂を傾ける覚悟でございます。
東佐味六斎講 田中宗治

※参考文献
東佐味の六斎念仏
編集:奈良県教育委員会 文化財保存課
発行:東佐味六斎講 代表 田中宗治
昭和57年3月31日

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